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活動報告

事務局ニュース

第6回 南相馬市・双葉郡視察(10月30日・31日)報告

10月30日と31日、私達NPO法人・JGK埼玉グリーンプラは、福島県南相馬市と双葉郡を訪問しました。
私たちは、震災直後から生活復興支援に関わり、毎年当地を訪れてきました。そして、復興の経過と、「震災・原発事故」被害のその後を視察してきました。今回で6回目の「視察ツアー」になります。

避難指示区域の概念図

今年の春、新たに富岡町・浪江町・飯舘村等の「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の指定が解除になりました。
左図の網目で表示された地域が、避難指示解除になった地域です。(左図参照)
昨年夏に避難指示解除になった南相馬市・小高区と合わせて、今年の視察の中心地域です。
(図は、南相馬市HPから転載)

一昨年・昨年と同様、常磐道を広野インターで降り、原発横を縦断する国道6号線沿いに北上します。
南相馬市まで、楢葉町・富岡町・大熊町・双葉町・浪江町と、それぞれの復興の現状を、昨年までの様子と比較しながら視察するのです。

楢葉町

楢葉町は、2015年9月に「避難指示解除準備区域」が解除になった町です。
昨年10月段階の帰還者は696人でしたが、今年5月現在854世帯・1616人が帰還されていて、被災当時の約2割が故郷に戻っています。(福島県HPによる)しかし、 帰還者の多くは高齢者。復興はこれからです。
楢葉町で気になっていることがもう一つありました。除染土を入れたフレコンバッグの仮置き場の状況です。
大雨の中を仮置き場まで行ってみて驚きました。

楢葉町 天神岬スポーツ公園

また、大きな仮置き場の周囲を白いフェンスが張り巡らせてあったことも、今年気づいたことです。
昨年までは、こんなに周囲全部をフェンスで張り巡らしてはいませんでした。
役所に聞くと、このフェンスの目的は、「侵入防止」「汚染度の飛散防止」「目隠し・見栄え」とのこと。
ここから南相馬市まで、数え切れないほどの仮置き場がありますが、ビニルは数年で劣化します。
どこでも、仮置き場の管理が重要だと思われます。

仮置き場の除染土は、環境省の責任で「中間貯蔵施設」(大熊町・双葉町)に移されていく予定です。
この「中間貯蔵施設」の用地取得も、やっと4割に。今年の10月28日から本格稼働です。
更に、最終処理場をどうするのか?これは未だに決まっていのです。

富岡町

左下の写真は2014年の富岡駅、右下の写真は2017年10月29日の富岡駅です。

富岡町の駅舎

更に、ホーム。左下は2014年のもの。右下は2017年10月29日のものです。

富岡町のホーム

常磐線は、10月21日、この富岡町と一つ南の竜田駅間が開通したばかり。
これで、上野から富岡までが繋がったことになります。
ちなみに、常磐線で開通していないのは、富岡駅浪江駅間だけになりました。
この区間も、今復旧工事が進められ、2019年までには、全線が開通するとのことです。

富岡町のスーパー

このあと、住宅地に車を向けました。
昨年、新築工事が進んでいたので、一年後の状況を見てみたかったのです。車の数や雑草の様子からすると、帰還はこれからのようです。(富岡町の帰還者は10月末で1240人。被災時の人口の約1.5%です。)
でも、近くに大きなスーパーができていて、少しほっとしました。

お店は閑散としていましたが、このスーパーは、住民の気持ちと生活の拠り所になる筈です。
富岡駅舎の復旧と、「さくらモールとみおか」の開店は、今後の富岡町の復興に大きな役割を果たしていくことと思います。

大熊町・双葉町~浪江町

帰還困難区域

富岡町を過ぎると、国道6号線の両側には、いくつもの鉄柵が並びます。「帰還困難区域」のため、未だに立ち入りが禁止されているのです。

浪江駅

帰還困難区域」の大熊町・双葉町を通り抜けると、浪江町に入ります。浪江町も今春、その中心街周辺だけが「避難解除」に。山林や渓谷の広がる地域は「帰還困難区域」のままです。
浪江駅の駅舎も改装されました。今春、浪江駅と小高駅までの2区間が開通。これで、浪江から仙台までが繋がりました。

新築のこども園

住宅地には、新築のこども園もできていました。
9月に落成式を終えたばかりの未就学児の施設です。
しかし、ここの運営もかなり厳しいのが現実のようです。
9月30日付けの朝日新聞から抜粋します。

今年1月、町民で未就学児童がいる保護者514人を対象に子育てに関する状況調査をした。
その結果、56人から町内での子育てを検討したいと回答があった。この56人に再調査したところ、11月からの一時預かり事業について利用を希望するとしたのが1人、検討しているとしたのが15人だった。来年4月からの入園について利用を希望するとしたのは3人、利用を検討するとしたのは4人にとどまっている。

何と、町内での子育てを検討しているのは、乳幼児の保護者全体の約1割です。そのうち、来春からの利用を希望・検討しているのは7人。原発事故から「7年目」の復興の大変さを物語っています。

南相馬市

浪江町を通過すると、南相馬市に入ります。南相馬市は、南から小高区・原町区・鹿島区と、三つの地域で構成され、小高区は昨年の7月まで「避難指示区域」でした。
小高区の帰還者数は、昨年9月末で1066人。今年の9月末では2208人。一年で倍になりましたが、帰還率は約17%です。ここにも、復興の現実があります。
小高区では海岸方向に車を向け、昨年と同じコースを辿ってこの1年間の変化を見ようと思いました。

浦尻地区2017年

写真では分かりづらいのですが、コンクリートによる護岸工事がかなり進んでいます。
去年は、海岸沿いに盛り土がされ、今年は、それがコンクリートの護岸壁にまで進展しているようです。
こうした様子は、南相馬市の海岸線全体に共通しています。ここから、津波の浸水した国道6号まで、およそ2~3Km。このエリアの復興が、これから始まろうとしているのです。

フェンスに囲まれた仮置き場

さて、国道に戻り、小高区から原町区にさしかかったころ、国道右手に広大な除染土の仮置き場が現れました。
その、あまりの広さにびっくり。私達は、この仮置き場の全体を視野に入れようと、右折して、やや高くなった場所に車をつけました。
この場所から200m~300m先の国道まで、フェンスに囲まれた仮置き場が広がっています。

フレコンバッグの後ろに、国道

もう少し、国道に近づいてみましょう。フレコンバッグの後ろに、国道を走っている車が見えると思います。
ため息を残して、この場所を後にしました。

真野川漁港

そして、次に目指す場所は真野川漁港
真野川の河口の蛇行を使ってできた、南相馬市最大の漁港です。昨年は、魚介類をさばく建物もでき、船も何艘か停泊していました。
ここも、南相馬市の復興を象徴する場所です。
操業は、どこまで進んでいるのでしょう。日曜日の午後にも関わらず、建物内で掃除中の若い女性に、お話を伺いました。

この漁港は、シラスとホッキ貝が特に有名。
震災でホッキ貝漁に携わっていた高齢者の多くが亡くなり、今、ホッキ貝の漁をされている方は2名だけになった。ここの船は、現在29艘。
昨年から試験操業が始まった。放射能検査を続けているが、放射物質は検出されていないから、出荷されている。先日、フェスティバルも行い、雨の中4000人が来てくれた。

(下の2枚の写真は、翌日再訪問した時のもの。)

国道6号線からの景色

実は、この漁港付近で、一面に広がる黒い物質を目にしました。・・・・・・・除染土のフレコンバッグではありません。
左は鹿島区真野地区太陽光パネル(約48ha・東京ドーム約10個分)。右は鹿島区右田・海老地区太陽光パネル(約58ha・東京ドーム約12個分)。

大規模太陽光発電所

南相馬市には、こうした大規模太陽光パネルの発電所が計3か所あり、更に、太陽光パネルに隣接して、「沿岸部風力発電所」も建設が始まりました。風力発電は4基が賄います。
これらの再生可能エネルギー発電は、すべて来年から運転が開始される予定です。

南相馬市のHPによると、市の「再生可能エネルギー導入比率」は今年3月末で16.6%。(市内消費電力の推計量に対する、「再エネ発電」「家庭からの再エネ申請量」の割合)
前述の再生可能エネルギー発電所が稼働すれば大幅に、導入率がアップします。
今、南相馬市は、震災からの教訓を学び、原発を拒否し、再生可能エネルギーによる町づくりが緒についたところだと言えます。
まだまだ、復興への道は長く、困難も大きいのですが、こうした挑戦には心から拍手を送りたいと思います。
太陽光パネルに励まされて、私達は、この日の宿である農家民宿「塔前の家」に向かいました。
ここを経営する佐藤さんご夫婦とも、もう馴染みです。

農家民宿「塔前の家」
フレコンバッグの後ろに、国道

右は、この民宿の食事する部屋に飾ってあった、写真。
両端は佐藤さんご夫婦ですが、真ん中にいる女性は、芥川賞受賞作家の柳美里(ゆうみり)さんです。
実は、今回の訪問で、なんとか柳美里さんにお会いしたいと考えていました。

(ゆう)さんは、転居した小高駅前のご自宅で、この11月に「カフェ兼書店」を開店する予定です。
柳さんのご自宅をやっと探し当てたのですが、東京へ出張だということでお会いすることはできず、ちょっと落胆していたところに、民宿で写真を拝見したのです。

芥川作家・柳美里さんと南相馬のこと

ここで柳美里さんと南相馬市の関わりにもちょっと触れておきます。

さんは震災直後から、臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」で週に1回「柳美里のふたりとひとり」 という番組を当。(そろそろ6年になります。)そして、2015年には鎌倉から南相馬市原町区に引っ越し、今年7月、小高区に引っ越したのです。民宿にあった写真は、その番組の取材で訪れた時のものだったのです。
なぜ、南相馬に引っ越したのでしょうか?
さんは放射能や偏見という目に見えない困難に対し、「だからこそ、目に見えない文化をここから発信して対抗したい」と考えたのです。小高区は「避難解除」になって1年余ですが、帰還者は約2000人。以前の人口の2割です。
さんは、小高商業高校と小高工業高校で「表現」の授業も担当。両校は今春に統合して「小高産業技術高校」になりました。その際に、さんは新高校の校歌の作詞を引き受けたのです。作曲は長渕剛さんです。

「福島県理立小高産業技術高校 校歌」を是非、ユーチューブで聴いて下さい。

こんな校歌があるんです。  https://www.youtube.com/watch?v=ARthA1ozL7s

小高産業技術高校の生徒達は、その殆どが、復旧したばかりの常磐線で小高駅に降り、そこからスクールバスで通います。でも、帰宅時は大変。電車の本数が少ないため、時間をもてあましてしまうのです。「生徒たちのためにできることはないか」と考えていたさんは、今年の7月、原町から小高に引っ越し、自宅にさんの選んだ書籍を中心に取り揃え、生徒が本に親しめる場とし、しかも、談笑したり勉強したり、そして地元の方にも利用してもらえるようにカフェも併設することにしたのです。しかし、金融機関からは「ボランティアですね」ということで融資を受けられず。
それでも「採算が取れないと尻込みしていたら復興なんてできない」と断言します。

私達は、登校する小高産業技術高校の生徒達の様子を知ろうと思いたち、翌30日早朝、小高駅に向かいました。

小高産業技術高校の生徒達

生徒たちは、皆、談笑しながら降りてきて、通学バスに乗ります。スマホを持っている生徒は一人もいませんでした。
南相馬を訪れて6年になりますが、こんなに大勢の子ども達を見たのは初めてです。
改めて、子ども達の存在がどれだけ大切なのかを、思い知らされました。

南相馬の虹

駅を発ち、さんの家の前を走っていた時に、きれいな虹が現れました。
(この日、私達は、計4回も虹を見ることができました。)

放射能の中で生き続ける牛たち

この後、小高区から山麓方面に入り、吉江牧場を経由して浪江町の渓谷に向かうことにしました。
浪江町は、全域が「避難解除」になっていず、山麓部の殆どは「帰還困難区域」。ですから、車で行ける所まで行ってみることにしたのです。

南相馬の虹

吉江牧場は、小高区から浪江町に入った所に位置している牧場。
原発事故で多くの家畜は殺処分されましたが、この牧場主は、人の都合で殺すわけにはいかない、とそれから6年8か月、「放牧」しているのです。 先ず、牧場入口の看板にびっくりします。

しかし、この奥には、緑豊かな牧場が広がっています。

放牧されている牛

たまたま、食物残渣を運び入れている業者の方に会いました。残飯が、ここの牛たちの貴重な食糧だとのこと。
牛達はやせ細り、しかも、私たちの降り立った横には、死んだばかりの牛の死体が無惨な姿のまま転がっていました。
原発事故さえなければ、美しい牧場に和やかな時間が流れていた筈なのです。

この牧場から向かったのは、浪江町の山間部にある、室原渓谷
ネット上は「立入り禁止」となっているのですが、「行ける所まで行ってみよう」と車を進めました。
各所に「帰還困難区域につき、長時間の駐車をしないで下さい」との看板が立っています。
紅葉には少し早かったのですが、のんびりした美しい景観が続きます。

室原渓谷

この渓谷にある道も、時折作業の車が通るだけ、人ひとり住んでいませんし、歩いてもいません。
(傘をさして歩いているのは当会の橋本理事です。)あの原発事故が全てを奪い取ってしまったのです。

このあと、視察の最後に、鹿島区の社会福祉協議会から小高区の社会福祉協議会に異動になられたHさんを訪ね、歓談。私たちの「会」が普及しようとしている生分解性洗剤「エルコロピア」の試供品も提供してきました。

今回の訪問した印象を概括すると、 様々な課題はありつつも、南相馬市鹿島・原町のように原発から離れていた地域では、復興も進みつつあることが実感できました。 しかし、「避難解除」になって2年目の楢葉町、1年4か月の小高区は、どちらも帰還率は高齢者を中心にして約2割。また、除染土の入ったフレコンバッグは毎年増える一方で、ビニル袋の劣化による被害も気になります。 「明」と「暗」との乖離が大きくなっていて、どこまで進んだら「復興した」と言えるのだろうかと考えさせられました

先の見えにくい復興過程を、これからもしっかり見守っていきたいと思います。

(文責 副理事長・吉田雅人)

 
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