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活動報告

事務局ニュース

第5回 南相馬市訪問(10月30日)報告

10月30日、私達NPO法人・JGK埼玉グリーンプラは、福島県南相馬市を訪問しました。私たちは、震災直後から生活復興支援に関わり、毎年当地を訪れてきました。そして、復興の経過と、「震災・原発事故」被害のその後を視察してきました。今回で5回目の「視察ツアー」になります。

避難指示区域の概念図

今年の7月、南相馬市の「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の指定が解除になりました。
左図の網目で表示された地域が、避難指示解除になった地域です。
(図は、南相馬市HPから転載)

そのため、「解除」から3ケ月余経った時点での現地の様子を視察することが、今年の新たなテーマとなりました。

一昨年・昨年と同様、常磐道を広野インターで降り、原発横を縦断する国道6号線沿いに北上します。
南相馬市まで、楢葉町・富岡町・大熊町・双葉町・浪江町と、それぞれの復興の現状を、昨年までの様子と比較しながら視察するのです。

楢葉町

先ず訪れたのは、楢葉町にある天神岬スポーツ公園
紅葉が始まった美しい公園ですが、ここからは、楢葉町にある除染廃棄物の仮置場が一望できます。

楢葉町 天神岬スポーツ公園

この後、仮置場まで降りてみました。昨年も来たのですが、仮置場の周囲は、昨年には少なかったセイタカアワダチソウが伸び放題。1年という時間の経過を物語っています。
楢葉町は、昨年9月に「避難指示解除準備区域」が解除になったのですが、今年10月5日時点での帰還者は696人。原発事故前の居住者の1割弱です。町中を走っても、たまに、住人が庭で作業をしている姿を見かけますが、生活に必要な施設が少なかったり、若い世代は避難地に住み慣れてしまったりで、復興の困難さを象徴しているように思えます。

楢葉町

楢葉町の北に位置する富岡町は、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」をかかえています。住むことはできませんが、「帰還困難区域」以外なら、立ち入ることができます。ここでも、一昨年から毎回訪れている場所に向かいました。
先ず、富岡町の駅舎跡です。

富岡町の駅舎跡

一昨年までは、津波と原発被害を象徴する駅舎が放置されていました。
昨年は、駅舎が解体されていました。

富岡町の駅舎跡の現在

今年、やはり同じ道順で、同じ駅舎跡に着いたつもりだったのですが、昨年と同じ場所とは、まったく思えません。周囲の、壊れた家屋が、ほぼ全面的に撤去されていたからです。
でも、僅かに残っていた家屋と、JR常磐線の線路が見えたことで、やっと駅舎跡を確認することができました。

常磐線の復旧作業は進んでいるのですが、最後に残された区間が、富岡~相馬です。
特に、富岡駅~浪江駅の区間は、津波による被害と、「帰還困難区域」とが併存しています。
報道によれば、2019年には全線復旧させる、とのことです。

富岡町内

この後、富岡町内を車で回ってみて驚きました。
写真のように、新しい家々が各所に立ち並んでいたのです。

富岡町では、今年9月から避難指示が解除されるまでの期間、「準備宿泊」を実施することになったそうです。自宅に長期間滞在できるため、帰還に向けて、家の修繕や事業再開の準備などができるようになるとのこと。
町では、来年4月からの帰還開始を目指しているそうです。

さて、富岡町から双葉町までは「帰還困難区域」になります。
国道6号線には左右に鉄柵が立てられ、一般人は立ち入り禁止。時折、国道上に放射線量が標示されています。

国道6号線からの景色

国道6号は、「帰還困難区域」を走るのですが、道路沿いだけは除染をしたため、何とか車両も走ることができるのです。上の写真では、「毎時1.147マイクロシーベルト」。私の住む埼玉県の値はおよそ「毎時0.05マイクロシーベルト」ですから、その20倍以上です。通行できるとは言っても、やはり警戒が必要です。

こうして、大熊・双葉両町を通過すると、浪江町です。ここは、国道以外にも立ち入ることができます。

浪江町の街並

でも、まだ帰還はできませんから、人の気配はありません。

普通の家並みがあるのに人の気配がない、という光景は、それだけで、不気味です。
お店の看板も、どこか、寂しさを感じさせます。

南相馬市

浪江町を過ぎると、いよいよ南相馬市です。
南相馬市は、南から順に、小高区・原町区・鹿島区と3つの地域で構成されています。
市のHPで調べてみると、9月26日時点の、小高区原町区の旧避難指示区域に住んでいた人達の「帰還状況」は以下の通り。7月12日に避難区域が解除されてから2.5ケ月後の状況です。(市のHPをもとに筆者がまとめたもの。)

2011年3月11日 住民登録 14279人 (100%) ※旧避難指示区域に登録されていた数
2016年9月26日時点 転出 3696人 (26%)  
帰還 1066人 (8%)  ・・・うち、65歳以上613人
市内他地域避難 4814人 (34%)  
市外避難 4703人 (33%)  

2011年3月11日の事故で、南相馬市全人口の約2割に当たる14279人の方が、避難を強いられたのです。避難指示区域にしてされたからです。(勿論、避難区域のため「避難を強いられた方」以外に、避難区域外であっても「自主的に避難された方」もいます)
あれから、5年半。
「解除」後、すぐに帰還された方は、8%。しかも、そのうちの6割が65歳以上の高齢者です。
こうした現実は、やはり、復興の困難さを物語っているように思われます。

まずは、「解除」になった小高区の海岸沿いに復興状況と除染廃棄物の仮置場を見ながら北上することにしました。行き当たりバッタリでは、正確さに欠けることになるため、今年は予め、南相馬市が管理している仮置場の住所をできる限り調べ、地図に落とした上で、そのポイントを南から北へと辿ることにしました。

小高区下浦地区

写真左は、積まれた除染廃棄物仮置場。海岸に近く、ここから200mほど離れた」所には10数軒の民家もあります。

小高区下浦地区の様子

しかし、人の気配があったのは、1軒だけ。窓が開いているので、分かりました。ススキとセイタカアワダチソウばかりが目立ちます。

小高区浦尾地区

道路からは、フェンスで黒い除染袋は見えません。写真は、高台から撮ったもの。右手には、青い海が見えます。

小高区浦尾地区の様子

角部内地区
津波堆積物はぎ取り

人のいない道で迷っていた時、二十人くらいの人が集まっている所に出くわしました。
腕章をつけた人に、何をしているのか伺いました。
すると「津波堆積物はぎ取り」作業の「体験・見学会」とのこと。事務局を県立博物館に置く「ふくしま震災遺産保全プロジェクト実行委員会」の主催です。
津波が残した堆積物を調べ、津波の動きや特徴などを示す貴重な資料にするのだそうです。こうした地道な調査で津波に関する知識を増し、将来の津波の予測や防災の在り方を考える機会にしてもらうための「体験・見学会」だったのです。
参加費は50円。誘われたのですが、時間がないため、ここを後にしました。

小高区塚原地区

写真左は仮置場。そして、仮置場付近では、こんなフェンスも見受けられました。

小高区塚原地区の様子

しかし、小高区の帰還者は、9月末で861人という現実。
「故郷小高にお帰りなさい 復興に向けて日々、頑張ってます」という文字に胸が痛みます。

津波堆積物はぎ取り

一方、海岸添いの「盛り土」は、まだ、これからです。
海岸線の復興作業は、これからやっと本格化するのでしょう。
5年半たってからの「復興開始」には、たいへんな苦労が伴うことも、しっかり見ておかないといけないと思います。

原町区~鹿島区

そろそろ、お昼時。国道も、小高区を過ぎ、原町区に入りました。国道添いの牛丼屋に入ることにしました。
広い店内は、満席。客の8割は作業服をまとった、除染作業の方たちでした。

原町は、市内で最もにぎわっている町です。
道の駅・南相馬。2014年春にオープンした「わんぱくキッズ広場」。道の駅のすぐ裏にあります。

道の駅・南相馬

そして、鹿島区です。今回、行ってみたいところがあります。
真野川漁港です。真野川の河口の蛇行した所にあった南相馬最大の漁港です。
5年かけて、何とか復興のめどがたったと、市のHPにあったのです。今年の3月に、荷をさばく建物も開所したそうです。
大きな漁港です。川の蛇行部分をうまく利用していて、三十隻ほどの、色鮮やかな漁船が並んでいます。

真野川漁港

第一原発の汚染水は気になりますが、何とか、負けずに頑張って欲しいと願います。

この漁港から国道に戻る途中に、鹿島小学校があります。日曜日ですが、ちょっと見ていくことにしました。

鹿島小学校

正門の横には、こんな風に、「3.11」後の卒業生たちの名前が書かれた横断幕が、ずらりと掲げられています。
亡くなった子もいるのでしょう。故郷に帰ってこられなくなった子もいるのでしょう。
そうした現実を抱えて立ち上がっていく気持ちを、こうした横断幕に託しているのかもしれません。

ここには、小学校に併設されているかのように、子供たちの立派な遊び場があります。

かしまわんぱく広場
 

かしまわんぱく広場

南相馬みんなの遊び場(学童保育は、別のきれいな建物にあります)

南相馬みんなの遊び場

震災以降、低下した子ども達の体力を培ったり、健康を増進させたりするために、市が力を入れている事業だそうです。

時刻は3時。鹿島区社会福祉協議会に行く時間です。5年前、私たちのNPOが、仮設住宅の皆さんに「蓄光折り紙」を贈って以来の関わりがあります。当時から関わりのある担当職員に、いろいろお話を伺うつもりでした。
ところが、仮設で一人住まいの男性が来所されたため、その方の「相談ごと」を聞かせてもらうことになりました。
こんな相談でした。

*仮設住宅を鹿島から原町に移るには、どうしたら良いのか?
*自宅が小高区にあり、解除になったが放射線量が高いので、取り壊そうと思う。
*ボランティアの人に来てもらいたいのだが、どんな申し込みをしたら良いのか?

しかし、それだけではないとのこと。
独り暮らしが寂しくて、いつもこうやってお茶飲み話にくるのだそうです。前は、相当なアルコール中毒で、やっと今、それを断ち切って前に向き始めたところだとのこと。
仮設住宅は、専門の「相談員」の方々が訪問されているのですが、社会福祉協議会には、こうして、仮設住宅からやって来る方も何人かいるとのこと。「仮設住宅が出来てからの知り合いで、もう長いお付き合いだから、相談に乗ることは仕事ではないのだが、断れない」と職員の方はおっしゃっていました。
仮設住宅の全体像を知ることはできなかったのですが、また一つ、被災者の現実に触れさせてもらいました。

この後、宿泊予定の民宿に近い海岸に出て、復興状況を見ることにしました。

鹿島区のビニルハウス

海岸の防波堤は昨年より、少しは工事が進んでいるという印象です。

しかし鹿島区北部にあるこの海岸よりの区域で目立ったのは、大きなビニルハウスでした。
市が復興計画の一環として建てたもの。応募者は少ないようで、事業が始まっているという雰囲気は感じられません。
でも、民宿の近くに来ると、荒れていた土地も掘り起こされ、そろそろ畑作業が始まるのかもしれないという雰囲気が感じられます。

阿武隈山地に落ちる夕日

ちょうど5時。阿武隈山地に落ちる夕日を収めて、民宿に戻りました。

今回で5回目の南相馬市訪問。
正直なところ、時間が経てば経つほど復興が難しくなっていく・・・・・そんな印象をもった南相馬視察でした。
でも、私たちは、決して忘れてはならないのだと思います。福島の現実と、復興までの過程を、です。
被災地の復興を願うばかりです。

(文責 副理事長・吉田雅人)

 
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