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活動報告

事務局ニュース

「3・11」から3年半の今/福島県南相馬市を訪ねて(2)

9月14日・15日、私達はNPO法人埼玉グリーンプラとして、南相馬市を訪問しました。
その時の体験をルポ風にご紹介します。
今回は、その2回目。

訪問エリア

前回は、帰還困難区域内の国道を、(特別許可を得て)通り抜けた時の様子が中心でした。

今回は、南相馬市の「復興」の現状を中心にご紹介したいと思います。

私達が、初めて南相馬市を訪れたのは2012年2月。
そして昨年10月に引き続き、今回で3回目の訪問となります。

今回の私達の目的の一つは、埼玉グリーンプラとして、鹿島区にある社会福祉協議会に、今後の支援を申し入れることにありました。

また、南相馬市の米作りや、津波被害に遭った海岸沿いの復興の様子等を見聞することでした。

帰宅後、私達は、南相馬市だけではなく、私達の通過してきた国道沿いの町々、原発事故によって避難を強いられている町々の復興が気になり、調べてみました。

町の姿が変わってしまう・・・・・・

中間貯蔵施設の建設を受け入れた大熊町双葉町

9月1日、福島県知事は、大熊・双葉両町長の理解を得て、中間貯蔵施設建設の受け入れを政府に伝えました。

近隣の自治体からは、
当初、楢葉町も候補地で、結果的に2町に負担をかけることになり大変複雑な気持ち。しかし、除染廃棄物の搬出の方向性が決まり、住民の帰還は進むだろう」(楢葉町長)
迷惑施設に違いはないが、双葉郡の復興のため大熊、双葉両町が決断してくれた。今後、汚染土の運び出しがスムーズになる。」(大熊町長)
という声も寄せられているようです。

河北新報 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140831_61015.html

中間貯蔵施設には、除染で出た土や草木、焼却灰などが保管されます。
中間貯蔵施設の建設候補地は16Km² 。大熊・双葉両町の総面積の12.3%に当たります。
これは、両町の「復興」に大きな影を落とします。

せめて、最終処分地を決めた上での提案ならまだしも・・・ですが。
筋の通らない現実を前に、町民の方々の気持ちを思うと、言葉がありません。

町民より作業員の方が多い広野町

双葉群の南端にある広野町は、原発事故から1年で避難指示が解除された自治体。
帰還・復興の先行例として期待されている町です。

この町の仮設宿舎で暮らす原発・除染作業員は約2000人。
民宿なども合わせると、3000人ぐらいだろうと言われています。
一方、町に戻った町民は約1700人(全体の約3分の1)。

町は、事故収束や廃炉に向けた拠点の役割を引き受けることを「復興計画」で決めました。
作業員宿舎や関連企業のための高層ビルを、「復興のシンボル」にしてゆこうというものです。

町民が願う復興と、町の「復興計画」とが乖離しているように思えてなりません。
ここでも、原発事故が町の未来に大きな影を落としているように思えます。

原発事故から3年半。課題は、ますます大きくなっているように思います。
こうした自治体住民の状況も頭に入れて、南相馬の様子をお伝えしようと思います。

津波と放射能で被災したエリアの今

南相馬市は、南から、小高区原町区鹿島区という3つの区で構成されます。

私達は先ず、昨年立ち寄った小高区の海岸に行ってみることにしました。
1年で、復興がどのように進んだのか、この目で確かめたかったからです。

小高区の様子

左上の写真でも分かるように、津波で破壊された海沿いの道路等には、まだ手のつけられていない箇所がいくつかありました。
しかし、目を転じると、重機やコンクリートブロック等が見えます。整地のための作業のようです。
これは、昨年には見られなかった光景です。
しかし、広大な田畑には雑草が生い茂り、復興はまだまだこれからだ、という印象はぬぐえません。

国道に戻ったあと、昨年崩壊していた家々が気になり、その場所に足を運びました。
この辺りは「避難指示解除準備区域」。立ち入りは自由ですが、自宅などに泊まることはできません。
でも、少しは整備が進んでいるのだろうか?・・・そんな想いでした。

小高区の様子

変わっていたのは、家の中が少し片付いていたことだけ。
大きな石板も、その横にある三輪車も、家の屋根や二階のガラス戸の位置まで、昨年と全く同じです。
唖然としました。
海岸沿いのエリアは、多少なりとも復興が進んでいるのに、破壊された国道沿いの家並みには、手がついていないのです。

被災された家にカメラを向けることは最小限にして、この場所を去ることにしました。

米作りへの挑戦

南相馬市は穀倉地帯です。
今回の訪問が9月の中旬とあって、私達は、どうしても米作りの現状を見たいと思いました。

相馬野馬追

そこで、野馬追(のまおい)祭りでも有名な相馬太田神社のある原町区太田地区の米を見にいくことにしました。

南相馬市では、原発事故以降、稲作は自粛されていますが、一部で「試験栽培」も行われています。

市は昨年、「試験栽培」の希望者を募り、市内の155戸の農家が参加(作付面積は事故以前の2%弱)。農家は、米への放射性物質の移行を抑えるための努力を重ねました。
その結果、約1万袋が収穫。放射能検査では、殆どの米が基準値以下で、無事通過しました。

ところが、1地区だけ放射能の基準値を上回った地区があります。それが、私達の訪れた太田地区です。

相馬野馬追

今年も新たな挑戦です。

では昨年、どうして太田地区の米だけが、基準値を超えてしまったのでしょうか?

おそらく、福島第一原発3号機のがれき処理の際の粉じんが飛散して、米に付着したのではないか、と見られています。(東電は因果関係を認めていません)

昨年8月の事故でした。
でも、そのことが南相馬市に知らされたのは、今年の7月。もう刈り入れた後です。
そして、太田地区の「試験栽培」は、台無しになったのです。本当に「踏んだり蹴ったり」です。

そんな想いで黄金色の稲を見てから、私達は、ここにある相馬太田神社を参拝しました。 この神社は、鎌倉時代に建立。 以来、地元の人々から、子孫の繁栄と牛馬家畜の守護神として崇められてきました。

相馬太田神社

絵馬殿には「神馬像」が納められています。それに、馬の絵馬も沢山奉納されています。

相馬野馬追

そして、拝殿の軒下をよく見ると、馬の彫刻が施されています。
この地方の人々が、馬にどれだけ深い想いを寄せてきたのか、しみじみと伝わってきます。

この地方の人々にとっての米作りは、単に生業であるだけでなく、馬と共同で築いてきた大切な生活文化でもあるように思えます。

仮設住宅相談員の活動

私達は、参拝後昼食を摂り、社会福祉協議会に向かいました。

ここの社会福祉協議会は、ボランティア受け入れの窓口役もしています。
私達のNPO組織も、3年前からお世話になっています。
この日は休日であったにも拘わらず、担当職員の方がわざわざ出迎えて下さいました。

私達のNPOの支援活動の申し入れも含めて、1時間ほどの懇談。

話し合いの中で、私達「埼玉グリーンプラ」が開発・製造している「バイオプラスチック製スクイズボトル」の売上の一部を、ここの社会福祉協議会に支援募金として提供させてもらうことになりました。
仮設住宅の皆さんを支えていく活動などに活用してもらうことになります。

この事務室では、仮設住宅の人達を支えていらっしゃる相談員の方も仕事をしています。
相談員の方も交えて、お話を伺いました。

  • 仮設住宅には、震災後約3000世帯が生活していたが、今は、その20%ほどが出ていかれた。
  • 相談員は、2人が組んで各世帯を訪問するが、県内の他地方に出ていかれた方のお宅にも訪問している。
  • 日曜・祝日でも、仮設の人が生活している限り、相談員の仕事を休むわけにはいかない。

高齢者の多い仮設住宅。
住み慣れた土地と家とに帰れず、先の見通しも持てないままの日々が3年半も続いています。

時間が経てば経つほど、仮設の人達の健康は蝕まれていきます。
だから、時間が経てば経つほど、相談員の仕事も大変になっている筈です。

私達にお話してくれた男性相談員とは、この事務室を訪問するたびにお会いしてきました。
もう3回目の出会いになります。いつも日曜・祝日でした。
こうした方達の頑張りが、原発事故被災者の生活を支えているのです。
マスコミも殆ど報道しませんが、こうした方達にも、是非目を向けて欲しいと思います。

鹿島区の海岸

そろそろ陽が傾く時刻になりました。

観光物産館「四季彩」

私達は、昨年お会いした方が経営されている観光物産館「四季彩」を訪ねてから津波被害に遭った海岸に向かいました。

四季彩」は国道沿いの店。
「がんばろう福島」の垂れ幕が掲げられた店内には、地元の野菜や、手作りのパン等が並びます。

私達も、埼玉から「味噌のシソ巻き」を何度か注文して送ってもらっています。
抑えた甘さ、パリッとしたシソの食感が、なかなかの美味。
南相馬にいらっしゃる際には、是非立ち寄ってみて下さい。

四季彩: http://yumesoso.jp/item.php?itemid=126

この店から真っ直ぐ東に、車で15分ほど走ると海岸に着きます。

一昨年は、全てが流され、無惨に残された家々の礎石だけが寒風にさらけ出されていました。
そして、昨年は、雑草が伸び放題の「荒野」になっていて、「復興」の難しさを思い知らされました。

今年は、どうなっているのでしょう?

ここでもやはり、整地工事が始まっていました。

壊れた道路の北側は、左の写真のように平にならされており、道路の南側は、右の写真のように高さ2mほどの防波壁が造られ始めていました。重機も何台か入っています。

この海岸は、震災前は家族のくつろぐ海水浴場でした。広い砂浜が広がっていたそうです。
しかし、あの地震で地盤が沈下。海水浴場はすべて消えてしまったのだそうです。
そして、以前は松並木があり、民家があり、その奥には田畑のあった土地も、今は荒れ地。

でも、ここには、防災林と南北2kmに亘る太陽光発電施設ができる予定。
3年目にして漸く、そのための工事が着工されたのです。
原発事故被害に遭った町だからこそ、是非とも自然エネルギーの事業を成功させてほしい。
そう、強く願わずにはいられません。

農家民宿「塔前の家」

私達は、この後、宿泊予定の民宿に向かいました。

農家民宿・塔前の家

この民宿は「農家民宿・塔前の家」。
「農家民宿」は、田舎の親戚を訪ねるように、ホームステイ感覚で泊まることのできる施設です。

私達は昨年、この民宿の佐藤さんの御尽力で、地元の方々と交流会を持つことができました。 そして、今年はここに1泊させてもらうことに。

佐藤さんご夫婦は、お酒を飲みながらの私達に、夜遅くまで付き合って下さいました。
とても穏やかなご夫婦ですが、やはり、以前に営んでいた稲作の話になると、力が入ります。
米作りのお話もたくさんお聞きすることができました。

そして、佐藤さんの話を聞きながら、私達が強く思ったことがあります。
それは・・・・・・・・来年は南相馬のお米を食べたい・・・・・です。

私達にできることは僅かかもしれませんが、これからも復興を支援してゆきたいと思います。

(文責・吉田)

 
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