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活動報告

事務局ニュース

3度目の南相馬市訪問(平成26年9月14日~15日)

9月14日~15日、私達(内舘理事長、阿部理事、筆者・吉田副理事長)は、NPO埼玉グリーンプラの「第3回南相馬市視察ツアー」で南相馬市を訪れました。
南相馬市の訪問は、3回目になります。

1回目は2012年2月:海岸風景と仮設住宅の方々のお話に大きな衝撃を受けました。
2回目が2013年10月:地元の方々と交流し、国道6号線沿いに浪江町までを視察しました。

今回もまた、テーマがありました。
一つは、これまで、訪れることのできなかった「富岡町」「大熊町」「双葉町」等を視察すること。
また、これまでのボランティア活動の中で出会った方々との再会を果たし、その後の状況を伺うことです。

過去2回は、福島市を経由して西北側から南相馬を訪れました。
南相馬から、海岸沿いの国道6号線に沿って浪江町の「避難指示解除準備区域」まで南下できても、そこから南のエリアは、「帰還困難区域」のため立ち入りできませんでした。

今回は、「帰還困難区域」を通過する特別許可を得て、南側から「楢葉町」「富岡町」「大熊町」「双葉町」を通り、南相馬に向かうことにしました。

避難指示区域の概念図

左の「概念図」は「首相官邸災害対策ページ」より貼付
(クリックで拡大)

通行証の裏面

右の「通過ルート」図は、「通行証」の裏面
(クリックで拡大)

帰還困難区域とは、 放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超えていて、5年後も20ミリシーベルトを下回らない可能性のある地域。 特別の許可がないと立ち入りできません。

朝7時、さいたま市発。
10時半、常磐道広野インターから国道6号線へ。
先ずは、福島第2原発目指して走行してみることにしました。

「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」の今

この2つの「区域」には、特別の許可がなくても自由に入ることができます。
ただし、この「区域」に自宅のある方も、「一時帰宅」はできますが、自宅に泊まったり居住したりすることは制限されています。

上の地図でもお分かりのように、おもに楢葉町富岡町が、この区域に該当します。

最初に私達が「迷い込んだ」所は、天神岬スポーツ公園

↓展望台からは美しい海が一望。
写真の左上は火力発電所。
手前のビニルに被われた物が気になりました。

火力発電所

↓このスポーツ公園には古代の遺跡あり、温泉あり、オートキャンプ場あり・・・。原発事故前には家族連れで賑わったのでしょうが、今は誰もいません。

スポーツ公園
通行証の裏面
←目をよ~く凝らして見ると、何やら海上に浮かんでいる物が見えます。右側は、大きな風車です。
海岸から約20km離れた洋上です。 これは、昨年11月に経産省が実証研究事業としてスタートさせたもの。世界最大規模の「浮体式洋上風力発電所」ができるとのことです。

美しい景色と爽やかな秋風の中にいると、ちょっと「観光気分」に陥りますが、そんな気分を引き締めて、先ずは福島第2原発に向かうことにしました。

そして辿りついた「福島第2原発入り口」。
でも、途中に「検問所」があり、撮影は禁止。「建屋」に近づくことも禁止です。
沢山の警官が立っていて、警護車両が何台も並んでいて・・・ものものしい雰囲気。
撮影は諦めるしかありませんでした。

次に辿りついたのは富岡駅
駅舎を見て、私達は絶句しました。

富岡駅
富岡駅

この写真から、皆さんがそれぞれの想像を充分に巡らせて下さることを願います。

 あの日に起きたこと。
 あれから3年半という月日が残したもの。
 「あの日のまま」でもあり、「3年半後の今」でもあり・・・・・

つぶれた車
駅前にある商店や家々も倒壊したまま。

私達は、暫く駅の周辺を歩いてから国道に戻りました。

富岡町は、津波被害に遭った家々と、津波被害には遭わなかった家々が、隣り合わせです。
そのどちらも、放射能のために為すすべが限られてしまっている町・・・・・・。
あまりの惨さに放射能被害の深さを改めて思い知らされました。

「帰宅困難区域」の今

富岡町の国道を暫く進むと、検問所が見えてきました。
いよいよ「帰還困難区域」に入ります。
緊張が高まります。

検問所
ここから双葉町までのおよそ14kmが、通行規制のエリアです。

以下、現地の様子を、順次写真でご紹介します。

大熊町
検問所を過ぎると、すぐに大熊町に入ります。

至る所に、「帰還困難区域」と赤字で書かれた看板が立っています。

鉄扉
国道左右の公道も、家々も、こんなふうに鉄扉で立ち入りができないようになっています。

どこもかしこも、鉄扉。
異様な風景が続きます。

右折で第1原発
第1原発に近づきました。
勿論、右折することはできません。

少し過ぎた所に、右折できそうな公道があったので行ってみることにしました。

右折で第1原発
でも、すぐに行き止まり。

引き返す時に、1台の車に出会いました。
中から、白い防護服を着けた人が出てきました。
「一時帰宅」の方のようです。

双葉町
国道に戻って暫く進むと、双葉町の標示がありました。

事故直後、ここの町民の約2000人がさいたま市のスーパーアリリーナに避難され、その後も騎西高校に避難されました。

私達埼玉県民にとって、とりわけ関係の深い町です。

双葉町
やがて、左手にある双葉町の商店街の看板が目に飛び込んできました。

「原子力明るい未来のエネルギー」という看板の人並みが途絶えたままの通りが続いています。

双葉町
商店街に入ってみることにしました。

津波はここまでは来ていません。
地震で倒壊した家もあるのですが、多くの建物は震災以前と同じ様子です。

双葉町の駅舎
正面に見える茶色の建物は双葉の駅舎。
とても綺麗です。

駅舎に入ってみました。

待合室に残されていた新聞
待合室に残されていた新聞。

その日付けは・・・
2011年3月11日

残酷な現実です。

さて、そろそろ南相馬に向かおうかと思い駅舎を出た時、向こうから車に乗って、警備の方が駈けつけました。

 「通行許可」の車は、ここまで入って来てはいけないこと。
 また、「通行」中は、車外に出て歩いてはいけないことなど、
 注意を受けることに。

「知りませんでした。申し訳ありませんでした。」と謝り、早速もとの国道に戻ることにしました。

深く反省し、これ以降は無謀な行動をとらずに、「帰還困難区域」を通り過ぎました。

そして、浪江町から南相馬市に向かいました。(以降の様子は後日お伝えする予定です。)

開通した国道6号線

実は、私達が「通行許可」を得て通過した「帰還困難区域」内の国道6号線は、翌15日から全面的に開通になりました。
どんな車も自由に走行できるようになったのです。

帰還困難区域」なのに、どうして自由に走行できるのでしょうか?

放射線の心配がなくなったからではありません。

以下、地元紙・河北新報の報道から抜粋してご紹介します。

区間内の平均空間放射線量は毎時3.8マイクロシーベルト
最大値は大熊町の毎時17.3マイクロシーベルトと線量が高い場所が残る。
内閣府原子力災害現地対策本部の有倉陽司参事官は「不要不急の運行は避け、運行時は車を閉め切ってほしい」と呼び掛けた。
・・・・・・・・全面開通で「経済活動の活発化や復興加速につながる」(遠藤智広野町長)と期待が集まる一方、犯罪の増加などを懸念する声も出ている。

(下線は筆者による)

河北新報 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201409/20140915_63018.html

参考までに、他都市の空間放射線量(1時間あたり・9月19日測定値)も併記します。

  • 南相馬市合同庁舎 0.11マイクロシーベルト
  • 郡山市合同庁舎   0.13マイクロシーベルト
  • いわき市合同庁舎  0.07マイクロシーベルト
  • 埼玉県さいたま市  0.05マイクロシーベルト

国道6号線の利用を考えている方の参考にして頂けたら幸いです。

(文責・吉田)

※この続きは、来月に掲載する予定です。

 
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