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活動報告

事務局ニュース

南相馬市を訪ねて・・・「3・11」の今

10月13日、私達3人(内舘・吉田・阿部)は、埼玉グリーンプラ主催「南相馬市視察ツアー」で、福島県南相馬市を訪ねました。1年半ぶりの訪問でした。

私達の「会」は、2年以上に亘って、鹿島区の仮設住宅の皆さんに「生活復興ボランティア」(蓄光折紙・輪投げ等)を継続してきました。

そして、震災から2年8ケ月が経ちました。
「支援」を続けていくためには、どうしても現地の今の状況を知る必要がある、と判断しての視察です。

今回は、特に二つのテーマがありました。
一つは、南相馬市にある「農家民宿」(民宿名「塔前の家」)で、 農業を中心に復興に努力されていらっしゃる皆さんと交流し、現状をより深く知ること。
もう一つは、南北に走る国道6号をなるべく福島第一原発の近く(浪江町)まで南下し、津波・放射能被害の現状を視察することです。

私達は、東北自動車道を福島西インターで降り、一昨年訪れた時と同じ道で、南相馬市鹿島区へ向かいました。

福島市内を抜け、阿武隈高地を越えると、田園風景が広がります。
一昨年訪れたのは2月。
あの時とは違い、わずかに残った稲穂が金色に輝いています。
改めて、相馬~南相馬が穀倉地帯であることを実感しながら、現地に到着しました。

そして、予定の1時半、農家民宿塔前の家」に着きました。
塔前の家」を経営される佐藤さんが地元の方々に呼び掛けて下さり、7名の方々が待っていて下さいました。

農家民宿での「交流会」から

「交流会」では先ず、それぞれの方から、震災とその後の御苦労をお話して頂きました。
以下、そのお話の要旨をご紹介します。

北海老行政区代理区長・農業 岡本清重さん

「3.11」では、住宅及び農機具は被災しなかったが、10町歩の田んぼの半分が津波の被害に遭った。

観光物産館「四季彩」理事長  桑折哲夫さん

「四季彩」を平成8年にオープン。地元生産物の販売に力を入れて順調であった。
「3.11」後、地元の成果物が一時入荷しなくなり、他地方産の物でしのいだ。会員は約半分になり、若い人が戻るまで時間がかかるので、物産館の運営も大変。

右田・海老地区圃場整備推進委員 今野初夫さん

13ヘクタールの畑作農業。兼業として大工。
新築工事が急ピッチで進んでいるが、外部の大手メーカーの参入で大工の仕事がなく、地元に金が落ちない。

北海老地区・農業  荒新一郎さん

津波の被害はなかったが、原発事故による放射線の被害が甚大。
「3.11」以前から佐渡米 1俵 22,000円。品質の変わらない相馬米は 11,000円であったが今はさらに1,000円の値下げを要求されている。
全袋検査し、規格品として認定された米のみ出荷しているが、風評被害は大きく、特に若い人達からは敬遠される。

南海老行政区区長  郡俊彦さん

稲作に合鴨を使い無農薬で稲作を完成させるメドが立ったところで「3.11」に会い、津波で全滅。
息子の嫁は将来の夢としてレストラン経営を希望していたが、妊娠したのが分かり、息子夫婦は、放射能の影響の無い遠隔地で生活を始めた。

農家民宿「塔前の家」  佐藤ひろ子さん・佐藤影信さんご夫妻

農業を営んでいたが、「3.11」で住居が全壊。避難所を2~3ヵ所転々とした。これからの生活を考え、中古の家を買って農家民宿を始めた。夫婦共働きでなんとか生計を維持している。
「3.11」は、夫婦と母と孫が2階に避難した。次の日に家の前の流木などの撤去を自衛隊などに要請したが、来てもらえなかった。近所の人に重機を出してもらい、道を作ってもらって避難所へ行くことが出来た。

交流会の様子

「交流会」ではこの後、「復興への課題」について自由に意見を交換して頂きました。その時の主なご意見を紹介します。

  • 津波被害による田畑をどうするかを考える上で、原発事故による放射能汚染とその影響が大きな課題だ。
    老齢化が進む中でも、子供は農業を引き継ぐことを決めていた。だが、孫を原発事故の危険にさらしたくないと地元を去っている。
  • 放射能の不安が解消されない限り、若い世代は地元に戻ってこないので、後継者問題は深刻。
  • 放射線量の人体に対する影響については、有識者と言われる人達の中で違いが大きく、長期にわたる実証例が少ないので、判断に苦しんでいる。
  • 何としても住める場所にして欲しい。避難している人達が帰って来るためにも、原発を「0」にし、自然エネルギーの活用が不可欠。
  • 風評被害を軽減するため生産物に生産者の名を書くことは行われているが、放射能測定値(ベクレル)も表示したらどうか。汚染水の海への流出は、一刻も早く対策を講じ、止めて欲しい。

あっと言う間に、予定の1時間半が過ぎました。
苦しい中でも何とか切り拓いていこうとする皆さんのご努力には、本当に頭の下がる思いでした。また、私達との「交流会」に、七名もの方が参加して下さり、福島の現実と復興への想いを伝えたい、という強いお気持を伺い知ることもできました。
皆さんとの「交流会」の経験を無駄にせず、私達も復興支援に一層努力していきたいと思います。

被災地の今

さて、時刻も3時半を回りました。
これから国道6号を南下し、できる限り、福島第一原発の近くまで車を走らせます。
日没までに、被災地の現状をしっかり視察するためです。

鹿島区沿岸部の津波被害の「今」

左下は一昨年2月に訪問した際の写真。
右下は、今回、同じ場所を撮ったものです。

現地の様子

鹿島区は、一昨年も「警戒区域」に指定されなかった地域。
原町区、小高区に比べて放射線量の低い地域です。
しかし、上の2枚の写真からも分かるように、殆ど「そのまま」です。

一作年との違いで気づいたことは二つあります。

一つは、ご覧のように、一面雑草が生茂っていたこと。
もう一つは、流された家屋の礎石部分が取り除かれていたことです。
この辺りは、「海岸防災林」を植え、「再生可能エネルギー(太陽光)」用地として利用していくことが、南相馬市によって決まったようです。

この地域に生活されている皆さんの合意の上で、復興の事業が一刻も早く進むことを願うばかりです。

小高区・浪江町の「今」

更に、私達は国道6号線を南下しました。

鹿島区の南・原町区に来ると、進行方向左側には津波で流された田畑の痕が痛々しく広がっていました。
一面のセイタカアワダチソウが黄色を目立たせています。
時折り、畑に咲いたヒマワリの花が、西陽を受けて輝きます。
ヒマワリが多いのは、ヒマワリが放射能を吸収すると言われているからだと思われます。

原町区から小高区に入ると、あたりの様子が一変しました。

国道の両サイドに崩壊したままの家々が目立ちます。
海岸よりには未だに「ガレキ」の山も見えます。

現地の様子

更に進むと、もう辺りは崩壊した家ばかりが続きます。

沿道に1件だけ、一生懸命に中の家財道具を外に運び出している方達が見受けられました。
ボランティアの人達なのかもしれません。

暫くすると、海岸方面に異様な光景が見え始めました。
車の残骸があちこちに転がっているのです。
私達は、もっとしっかり見ようと、車を海寄りに向けて進みました。

無惨としか言いようのない光景でした。

横転して錆びてしまったままの車が、荒れ果てた畑の中に何台も何台も放置されているのです。

現地の様子

家財道具の片づけられている家屋と、全く手つかずの家屋とが混在していました。
築間もない家も多く、住まわれていたご家族の無念さが伝わってきます。

あれから2年8ケ月というのに、放射能の除染が進まず、どうすることもできない「現実」です。

この後、私達は浪江町に向かいました。
時間は、5時を回りました。

浪江町に入ると、急にパトカーが増えました。
各所に柵が建ち、警備員が立っています。
空き巣を防止するためなのでしょうか?
いずれにせよ、これ以上立ち入ることはできません。

日が暮れると辺りの民家に灯もともらないため、真っ暗に。
所々の小さな街頭が僅かな光を放つだけです。
一時帰宅はできますが、寝泊まりできない地域であるために人の気配がなくなるのです。
それにしても、南相馬の復興にとって放射能被害がどれだけ大きいのか。
そのことを改めて思い知らされた「視察ツアー」でした。

私達の見て学んできたことを一人でも多くの方にお伝えし、支援活動を、皆さんと一緒に考え、進めていきたいと思います。

文責・吉田

 
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